ただのメモ

こぼれ落ちたよしなしごと

力を抜けば水に浮かぶ

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重ねた年月が必ずしも正解ではないと
その事実を突きつけられたとき
ひどく胸が痛むけれど、
これこそが正解だと思い込む
思い込もうとする、すがりつく、、
のは危ないことだ。

これでいいんだ◎という全肯定
バカボンのパパ!)は大切で必要だけど、
それとこれとは別である。

しがみつくと溺れるのは水中と同じだね。

26歳のメモ #1

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小さなころから「みんながしてる」ことは面白そうに見えなくて、あまり興味がなかった。気がする。
末っ子だからか物分かりがよく、子供のくせの冷めていた。
だから"子どもらしい子ども"が好きな"先生"たちには、分かりやすく可愛がられなかった。

10代のころ周りには敷かれたレールの通り人生を走ってきた人しかいなくて、また、敷いたレールを走ることを強いられて、ほんとうに窮屈で憂鬱で息苦しかった。

2月13日

フィギュアスケート@五輪で誰かが戦場のメリークリスマスで滑っていて、そういえば映画を観たことがないなと思った。
そんなことから予告編の動画を見て、うまく言えないけれどなんだか無性に生きなければと胸を揺さぶられた。


そしてふとカレンダーを見ると、仲のよかった友人が亡くなってから、ちょうど1年。彼女がどうして先に行ってしまったのかは分からない。でも、生き残っている者にはそれなりに、生かされている理由があるのだろうと、根拠はないが思う。そういえばボウイももういない。
生きてるって、なんだろね。


自分に示されている、自分の為すべきことを、模索しながら歩むものなんだろう。今までもあったし、これからもまた、人生を重たくつらく感じることはあるだろう。でも、その時はこうして感じたことを思い出せばまた進んでいけるだろうな、覚えていよう、と思った。それだけ。


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For you are dust, to dust you shall return.
汝は塵なれば塵に返るべきなり